私は、なぜか昔から死ぬということについて考えている子供でした。そして、私の人生は50年!太く短く、キッパリと生きるのだと決めていたのです。
何が太いなのか、わけも分からずでしたが、意識の下には織田信長がいたように思います。
人生50年!下天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり・・・♪
信長が、光秀の急襲され、最後の時を迎えるときに歌い舞ったというのは、映画の世界などにはよくある話です。それを目にしたのが、幾つだったのかは覚えてはいません。
この言葉は、平清盛の息子、敦盛を主人公にした「幸若舞」の一節として知られています。この敦盛は、学問にも造詣が深く、温厚な人物だったとか。。
下天とは、天界に対する言葉です。天界で魂として存在する時間に比べたら、この世にいる時間など、夢幻のごとく儚い瞬間でしかないというものです。
この儚いという人生感に、子供の私は共鳴したのではないかと思います。天下統一を目指して、半分狂気じみた信長が、時代を駆け抜けていった様を、美しいと感じたように記憶しています。
とっくに60歳過ぎたけど・・なにか?!
もう62歳。人生50年って、なんだったんだ(笑)
でも、きっぱりと生きた痕跡を残さずに去りたいという気持ちは、まだあります。遺言書を書くほどの財産はありませんが、子供たちが困惑しないように、エンディングノートも書き始めています。
どんな風に死にたいか、それはどんな風に生きたいかに繋がると私は思っています。そんな死生観を、話してみたいと思います。
キッパリ死ぬとは!?
死ぬ瞬間の自分を、自分で演出したい。
死んだあと、自分の荷物がどっさりあるようなのはイヤ!
さて、どうしようか。。 色々考えていきたいと思います。