前回、死を考えることは生を考えることとイコールだという思いを記事にしました。
で、私が60歳を過ぎて、自分の最後を考えながら始めたことに、エンディングノートを書くということがあります。
エンディングノートとは
終活とかエンディングノートといった言葉が、だいぶ日常的に使われるようになりました。終活の一環として、エンディングノートがあるといった位置づけでしょうか?
私の場合は、デジタル遺産の処理を自分でするか、残った人にやってもらわなければいけないときにはどうするかが一番大きな目的です。
遺産相続でもめるほどの財産はないけど、仕事柄、デジタル遺産がてんこ盛り。
デジタル遺産とは、こうしたブログやTwitter、Facebook、Instagramなどの個人アカウント。ネット銀行や、web上で契約している仕事。私の場合は、サーバーを借りてサイトも運用しているので、それに関連するアレコレ。
まずは、私のパソコンに入るためのパスワード。そこからそれぞれの処理をするためのIDとパスワードなどなど。。
後は、各種クレジットカードの連絡先やIDとパスワードもあるし・・・
私が死んだあと、私のアカウントが良からぬことに利用されるのは絶対避けたい! ネット銀行に入金したままのお金を、残された人たちが気が付かないなんて勿体ない・・・でしょ(笑)
あとは、わんこたちの病院の詳細や、生命保険や死亡保険のことも。
そして、もちろん、私の葬式や墓地のこと、私がボケた後に自分では判断できそうもないようなことまで、書き残すものは多岐に渡ります。
まだまだ記録しておくべことはあるけど、とりあえず重要な部分は完了(*^^)v
これからさらに、色々書いていこうとは思っています。
こうして自分の死を意識し、最後は立つ鳥後を濁さずの体で行きたいと思うと、それに付随して考えさせられのが、今の生き方や、残されたこれからの時間の使い方。
終活の一つとして、エンディングノートだけではなく、生活を小さくする努力もしたいと思います。
小さく暮らす、シンプルに暮らすって? まだまだ大風呂敷を広げたままの私ですが、少しずつ勉強していきます!