ガツガツ生きる!シニアの記録【起業を目指す編】

2023年12月21日・タイトルを変更しました。昨日付けで会社を退職。でも、これからも私らしく清貧とは遠いところで、ガツガツと生きて行こうと思います。

読み終わってしまいました(;^_^A 北方謙三著「三国志」

北方謙三さんの三国志、十三巻目は図書館で借りました。最近、入浴中に本を読むことができなくなり…字が見えずらくて疲れますww…図書館でも良いと言えば良いのですが、持ち歩きはやっぱり文庫本が良いですよね(⌒∇⌒)

 

関羽が戦死、張飛も毒殺され、その仇を取ろうとした劉備も敗戦を機に弱ってしまい、亡くなります。

 

諸葛亮孔明の才知に、蜀の運命がかかってくるのですが・・・

 

北方謙三さんの三国志では、諸葛孔明の類まれな軍略や国の民政の手腕などが描かれていて、やっぱりスゴイ人だったんだなぁと感心します。ただ、彼の才覚が素晴らしかっただけに、人や天候といった運に見放されていたという感じを強く持ちました。

 

もし、あれが成功していたらという場面が何か所もあり、三国志は大きくその姿を変えていた可能性があります。

 

ただ、なぜ三国ではダメだったのでしょうか?どうして統一することばかりに拘り、争いの絶えない世の中を作ってしまったのでしょうか?

 

それが漢王室再興という劉備の信念だったしても、それを諸葛孔明が託されたのだとしても、違う視点で違う方向から国を見ることができなかったのでしょうか?

 

現代でも続く戦争。それぞれに主張はあるのでしょうが、結局はその国のトップの欲以外の何物でもないのでは? どんな理屈を並べても、それは屁理屈でしかなく、正義なんてものは存在しないと思うのは、私だけでしょうか(;^_^A

 

一方、魏の司馬懿が出てきました。このずる賢さって、スゴイなぁと苦笑いしてしまいます。諸葛孔明と対峙したこと、息子が魏を乗っ取り「西晋」という国を建て、高祖と呼ばれるようになったことで知られる人物です。

 

諸葛孔明と対峙したとはいっても、ひたすら大群で壁を作り、守りに徹しただけですが、それほど諸葛孔明はすごかったということでしょうね。

 

実はこの司馬家、秦王朝を滅亡させた項羽の政策により、分封を受けた十八王の一つという家柄だそうです。

 

分封とは、論功行賞的な形でもあり、分割統治と言った意味合いもあったようです。それぞれを王とし、王が18人いて、その中の一人が司馬仰で、司馬懿の祖先になります。

 

従って、曹家などとは比べ物にならないほどの名門であり、劉家のように、沢山の女性を囲うことで血を薄めたわけでもなく、どこの馬の骨かも分からない孫家などは塵芥同然という高貴な出自らしいです。

 

北方謙三さんの三国志も、諸葛亮孔明が亡くなることで終わっています。彼の死は、今でいう過労死ではないでしょうか?疲れ切った身体が心臓を圧迫し・・・あと10年長生きしていたら、やはり三国志は違うものになっていたのかもしれませんね。

 

そろそろ三国志から離れようかと思う今日この頃。次は何を読もうかな(;^_^A