第二次世界大戦に勝てると思っていた軍部の驕り。勝てる戦いも、詰めが甘くて、結局逃げ帰ってきてしまう司令官たち。
元々勝てるはずがなかったのだと思っていましたが、この戦いは、日本の軍部が負けを引っ張り込んだ戦いでもあったのだと思いました。
永遠の0
最初は驚異の戦闘機だった0戦も、時間の経過とともに、アメリカのグラマンの方が格段に優れた戦闘機になっていきました。
グラマンは、装甲が厚く、少しくらいの機銃を受けてもピクリともしなかったのに対し、0戦の装甲は薄く、パイロットたちを守るためのものではありませんでした。
0戦はひたすら軽くすることで、飛行距離を伸ばし、アクロバテッィクな対空戦を可能にするためのものだったようです。
特攻隊にしてもしかり!人を人とも思わず、大本営に座ったまま、出撃を決め、それを当然のことと思っていた軍部。
たった1年程度の教練で、戦闘に耐えれらる飛行機乗りができるはずはありません。すべてが、人間爆弾のため。それも、9割以上が目的の空いて空母には遠く及ばず・・・それでも、国を思い、家族を思い死んでいった人たちが沢山いたんだということに、改めて胸が熱くなりました。
ストーリー展開は、とってもノーマルです。山の裾野から攻めはじめ、最後には頂上にたどり着くといった構成になっています。
特攻隊で亡くなった宮部久蔵の半生を調べるうちに出会った、もと日本兵。その中には宮部久蔵を慕うあまり、その妻を救ったものや、結婚し支え続けた人もいます。
そして最後のエピローグには、宮部久蔵の最後が書かれていました。アメリカ兵たちが彼に敬意を抱き、彼こそがサムライ、彼こそがエースと褒め称えながら、弔砲を打ち海に葬ったとあります。
思い出すと・・・
私が夫と暮らし始めた最初のお正月。初日の出を見ようと、車で海まで走りました。帰りに、初詣に成田山に寄ったとき、そこには軍服を着て、腕や足に包帯を巻いたり、手足が無かったりという人たちが、通りかかる人たちに施しをお願いしていました。
当時、夫は、負傷兵のふりをしているだけだよ。全く正月だっていうのに・・・と、とっても不満げだったのを覚えています。
でも、もしかしたら・・・その人たちは、本当に第二次世界大戦を戦って生き延びた人たちだったのかもしれませんよね。
だって、夫は昭和25年生まれです。戦争が終わったのが昭和20年。成田山に行った時の夫は33歳でした。夫より20歳くらい年上だったとしたら、戦争に行っている可能性が大きいはずです。
あそこに座っていたのは、命をかけて戦い、なのに食べることにも困っていた人たちではなかったのかと、永遠の0を読み終わって思いました。
私は昭和34年生まれですが、歌にあったように「戦争が終わって僕らは生まれた。戦争を知らずに、僕らは育った」という世代だったいうことに、胸が苦しくなります。