ガツガツ生きる!シニアの記録【起業を目指す編】

2023年12月21日・タイトルを変更しました。昨日付けで会社を退職。でも、これからも私らしく清貧とは遠いところで、ガツガツと生きて行こうと思います。

護られなかった者たちへを観てきました 日本の生活保護の実態

10月は、会社が一時帰休を実施しています。たぶん、10月だけになりそうだけど・・

自動車関連の製造工場で、生産管理という仕事をしていますが、自動車メーカー各社のライン停止などが原因で、弊社もラインを止めて補助金の申請をするためです。

 

ということで、最初の休みとなった10月1日金曜日、台風が通過する最中、映画にいってきました。

 

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護られなかった者たちへ

生活保護をめぐる映画でした。生活保護は、憲法で保障された国民の権利ですが、なかなかそうはならないのが現実です。

 

私の父も、亡くなるまでの数年間、生活保護を受けていました。窓口に父親といくと、まず関係を聞かれました。

 

娘ですというと、「娘さんからの援助はできないのですか?」ときました。当時、バブルが崩壊した後で、夫が営業していた飲食店を閉め、そのとき残っていた借金の返済に追われていました。

 

夫は、店がつぶれたのも、ゴルフ会員権が紙くずになったのも、私のせいだと私を責め、負けず嫌いの私は、3つの仕事を掛け持ちしながら、返済に邁進している最中でした。

 

何とかとしつこく言われ、とりあえず月3万円なら何とかすると約束しましたが、ほかに兄弟はいないのかと聞かれ、弟が2人いますと答えたのです。すると、その弟さんたちは援助できないのかと・・・

 

弟たちは、子育ての真っ最中で、お金が湯水のように出ていく時期。それでも、私のすぐ下の長男も、いくらかの援助を承諾してくれたと記憶しています。

 

親戚はいないのか?亡くなった母の保険金などはないのか?あまりにしつこいので、市役所の相談窓口で、私は「そんなに出すのが嫌なわけ?真面目に税金払って、国民の義務を果たしてきたのに、いざ権利を行使しようとするとダメだってこと??」とかなり大きな声で喚いたことを覚えています。

 

結果、月6万円ほどの生活保護を受けることができました。

 

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生活保護を受ける資格が十二分にあるのに、巧みな言葉で誘導されて、せっかく通った審査を辞退し、結果、餓死した女性の復習をしようとする人の物語でした。

 

護られなかった者とは、震災で何もかも失い、自分が何のために生き残ったのかと疑問にさえ思いながら、懸命に生き続けた人たち。でも、国は、福祉は護ってくれなかったということだと思います。

 

実際、生活保護の申請に女性が一人で行くと、まともに話を聞いてもらえないことが多々あるそうです。その上、頼れる男性はいないのかと言われたり、身体を壊して働けないのに、アルバイトなら色々あるでしょう的な暴言を投げつけられたりということも、決して珍しくはないようです。

 

女性蔑視!時代は男女平等、ジェンダーフリーなどと声高に騒いでいても、現場にいる人間は、女性は男性に食わせてもらうものといった時代錯誤な意識がまだまだ根強いようです。

 

女性が生活保護の申請をしようと思ったら、男性の社会福祉士に相談するのが一番良いということです。女性の社会福祉法士だと、やはり同じ理由で、審査に通らなかったり、通っても時間がかかることが多いようです。

 

苦しんでいる女性たちを助けようと活動をしているソーシャルワーカーを探して、恥ずかしがらずに頼ってみるのが、生活保護を受給する一番の近道だということに、間違いはないと思います。

 

生活保護の不正受給者がいても、それはそれ!

市役所などの窓口で、生活保護の支給を渋る原因の一つとして、不正受給者の存在があります。

 

しかし、それはそれです!自分が生きるための最後の命綱が生活保護です。少し面倒な縛りもありますが、それでも必要であれば正々堂々と申請し受給をしてもらえる権利です。

 

決して恥ずかしいことではないことを、知ってくれたらいいなぁと思いながら映画を観ました。

 

映画の話ではなく、生活保護の話になってしまいました(笑)でも、それが映画の骨子です。

 

声を上げてください!必ず誰かが助けてくれます。

 

これが、映画の中で最も伝えたかったことではないかと思います。SNSでもいいし、ブログでもいい。周りの誰かに相談するのでもいい。

 

理不尽な仕打ちに打ちのめされても、その状況や自分の気持ちを誰かに伝える努力をすることが大切です。「助けて」という言葉に、きっと誰かが耳を傾けてくれる。それが映画の中で、一番響いた言葉でした。