第六巻から暗躍し始めた諸葛孔明の筋書きが、少しずつ形を成し始め、劉備が荊州を手中に治め、さらに蜀へと手を伸ばし始めました。
曹操は、皇帝から魏の国の王という称号を与えられ、さらに大きな国を平定すべく、初老という年齢ににも関わらず、神掛かり的な戦を展開していきます。
嫡男の曹丕と次男の曹植、どちらを太子にするべきか悩む曹操。しかし、無用の争いを避けるためと、過去の時代の戒めを考慮して、曹丕を跡継ぎに指名します。
そして司馬懿ですが、ほんの少しだけ登場していました。30歳を過ぎて、初めて上表を行ったのですが、曹操には採用されなかったというだけの話です。
この時点では、どれだけ優れた人物だったのか、まだまだ分からないという状況みたいです。
本の中にある当時の中国では、人相や星の動きなど、様々な決定を占い的な判断で決めていきます。人物の判定もしかりですよね。これって、判断する側の人の、その能力の高さが必要だと思うのですが・・・
その意味では、曹操は特に人を見る目が高かったようです。
現在の中国の人々が、なぜ劉備を愛するのか分かりませんが、劉備を主とすると曹操は悪役的な立ち位置になることが多く、それをそのまま信じていた私ですが、今回、宮城谷昌光著の三国志を読んで、曹操がスゴイ人だったことが分かりました。
それにしてもなぁ・・・この頃の中国って、偉大な国だったんだなぁ。。文化大革命以降の中国って、まるでロシアと同じ世界の癌だよねぇ(;^_^A 国民に罪があるわけじゃないけど・・・政治って怖いね(-_-;)